節約も度が過ぎると
節約とは、出を制すこと。できないひとが、手っ取り早くできるようになるには、どうするか。とても簡単です。
節約力をアップするには、旅に出るのがいい。
往復切符を買って、空港に降り立てば、もう現地人。帰国するその日まで、持ってきたお金でやりくりしなくてはなりません。ホテル、美術館、交通費…、何をしてもお金に羽がはえて飛んでいきます。宿で一緒になった人を見ると、家計簿をつけてるじゃありませんか。さっそく、マネしてみました。
たしかに使わなければ、お金は残ります。かといって、ただ節約するだけでは、旅っておもしろくないんですよね。たまにはリッチな食事をしたり、劇場に足を運んだり。そうやってメリハリをつけることも覚えました。
そうこうしているうちに、気がついてみると、節約力がアップしているわけです。めでたし、めでたし。
コスト削減にはまる
のちにサラリーマンとなり、品質・コスト・納期の世界に放り込まれました。初めて担当した仕事で、緊張したためか、一気に節約モードに入ってしまいました。無駄を省き、ゴールめざして一直線。それでも、なんとか完了できました。
ところが、終わってみると、コストが異様に低いのです。原価チェックのおじさんに呼び出されて聞かれました。これ1ケタ間違ってないですか?と。
そのときに、やっと気づきました。もっとコストをかけるべきだったと。それはムダ使いということではなく、もう少し時間をかけてキャッチボールしたり、何かやるべきことがあったのではないかと。
A地点からB地点まで移動するだけが、旅ではありません。そこでいろんな人と出会ったり、体験したり、そいうものをひっくるめて旅なんです。
仕事も同じで、Aという状態を加工してBという状態にするだけでなく、そのプロセスで成長してこそ仕事といえるのです。つまり節約が過度になってしまうと、仕事がやせ細っていくのではないかと、気づいたわけです。
節約とは、出を制すこと。やりすぎると拒食症になる。
というのが、結論でしょうか。ほんとは、そんなことを考えず、楽しくやっているうちに、いろいろ身についてくるのが一番なんですが。
シンプルな食べものとは
グルメとかレシピサイトとか、モアベターな食文化が盛り上がっているようですね。では、盛り下がるとどうなるでしょうか。
土井善晴『一汁一菜でよいという提案』
土井さんは、1957年生まれ。土井勝という著名な料理研究家を父に持ち、欧州でフランス料理を学んだ人です。帰国して、和食を再発見し、日本料理を修行しました。そしてたどりついたのが家庭料理なのです。
一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います。
フランス生活の影響か、理屈っぽいですね。ハレの料理とケの料理を区別しましょうと。さらに、家庭料理はおいしくなくてもいい、とまで言い切っています。
本としてはごった煮です。具だくさんの味噌汁とかの写真だけでなく、思いのたけをすべて綴ってくれました。ふだんの料理番組というのは、その上澄みをいただいているのですね。
堀井和子『うちで焼く丸パン』
堀井さんは、1954年生まれ。上智大学フランス語学科卒業です。コックさんでもなく、パン屋さんでもありません。スタートは、料理スタイリストのようです。
しばらくアメリカに住み、帰国後、パンの本を書きました。「堀井和子の気ままなパンの本」(1988)、「堀井和子の1つの生地で作るパン」(1996)、そして「うちで焼く丸パン」(2004)。8年ごとの出版ですが、どんどんシンプルに。
本書には、13種類のパンが掲載されています。その中のひとつがブレッチェンです。旅をした時の朝食はこれが定番でした。ナイフで半分に切り、ジャムやバターを塗って食べるのですが、付け合わせが何もないのです。おまけに、フランスだとコーヒーが丼に入って出てくるし。これがミルクティーならどんなによかったか。コンチネンタルは、いささか栄養不足ですね。
料理のベテランになると、一汁一菜とか1つの生地とか、作るものもシンプルになってくるようです。
美術と音楽が好きな人が喜ぶ本
視覚や聴覚でとらえる芸術を文章で表現するのは難しい。それでも挑戦したくなるのが作家なんですね。
原田マハ『楽園のカンヴァス (新潮文庫)』
主題は、アンリ・ルソー。主役の早川織江は、日本の地方美術館で監視員をしている。挫折を味わった人として登場する。そんな彼女がスイスに招かれて、真贋判定を行うというミステリー小説です。ライバルも登場します。
恩田陸『蜜蜂と遠雷』
主題は、芳ヶ江という地方都市で行われる国際ピアノコンクール。主役は栄伝亜夜20歳。かつて天才少女と呼ばれ、CDデビューも果たした。しかし、母の死をきっかけにリサイタルをドタキャンして引退した過去を持つ。今は音大の学生で、恩師の顔を立てるために、ピアノコンクールに出場した。はたして復活はなるか、というクラシック音楽小説です。
メインの登場人物はピアニストで、演奏中に彼らが感じたことをずーっと書いてます。音楽そのものの描写というのは少ないです。それでも2段組で500ページ以上あります。
脇役では、ステージマネジャーの田久保さんがかっこいい。セリフは、ほとんど「それでは、○○さん、時間です」だけなんですが。私も、こういう時間ですよおじさんになりたい。
2017年本屋大賞
足かけ7年もかけた大作『蜜蜂と遠雷』が1位、3年ぶりの森絵都『みかづき』が2位に入りました。力のある作品が上位を占めたことで、書店員の評判も高まることでしょう。
森絵都『みかづき』
『みかづき』は、学習塾を創設した一家の物語。しかも、3世代にわたる大河小説です。
八千代塾から千葉進塾へ
主役がどんどん交代していくので、読んでいる人はどこかで自分と同世代に出会います。
たとえば、小学校に通う蘭は、『巨人の星』や『アタックNo.1』の主題歌を歌い、路上にはマツダの白いファミリアが。「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)も真っ赤なファミリアでしたね。
塾って何?の時代から、世間から白い目で見られる時代を経て、通塾が当たり前の時代へと、時が流れていきます。その間、塾と背中合わせにあるのが学習指導要領です。
学習指導要領とは
学習指導要領は、およそ10年に1回改訂されます。だから、小学校入学から高校卒業までの間に、ほとんどの人が改訂を体験するのです。教科書の刷新、入試制度の改革という目にみえる形で。
1971年(昭和46年)版は、ちまたで現代化カリキュラムと呼ばれました。ことの発端は1957年の人工衛星スプートニク1号です。これをきっかけにアメリカ人は「スプートニク・ショック」に陥り、科学技術を発展させようとやっきになりました。その熱病が日本にも遅れてやってきて実を結んだのが、現代化カリキュラムです。
小学生に集合を教えるという無謀なことをはじめました。典型的な詰め込みカリキュラムです。それゆえ、高校の生物の教科書は見違えるようにモダンになりました。
それで高校受験が悲惨になったかというと、そうではありません。たとえば東京都では学校群制度が1967年からはじまっていて、それ以前の受験戦争はすでに緩和されていました。
そうやって考えると、1960年前後生まれの世代が、モダニズムの落とし子かもしれません。ここで落ちこぼれなかった人は、幸いです。
共通一次試験
その70年代に登場したのが永井文部大臣です。東大への一極集中をやめて、分散しようとしました。富士山信仰をやめて、八ヶ岳へと。その結果生まれたのが、共通一次試験です。1960年ジャスト生まれが一期生となりました。
何らかの意図をもって、学習指導要領は改訂され、そのたびに現場は混乱します。その間隙を縫って躍進したのが学習塾です。小説の中でも津田沼戦争が出てきます。同業他社との争いです。
勝ち組として生き残った千葉進塾は、バブル時代に拡張路線をとりませんでした。「守りに入るとは、鉄の女も年をとったもんだ」と揶揄されつつも。それが幸いして、バブル崩壊後も深手を負うことはありませんでした。
そこで千秋の転調が入ります。「考えるカリキュラム」の復活をめざして、私学に参入しようと。しかし、それは夢幻の世界でした。まるでお能のように。
クレセント(みかづき)
ここで、孫にバトンタッチ。ゆとり世代の1つ年上が登場します。就活戦線から離脱し、フリーターとなった一郎は、やっと自分のできることを見つけます。経済的な事情で塾に通えない子たちへの学習支援です。やがて支援者も現れ、フリースクールも軌道に乗りました。
ラストがいいですね。一郎がじいさんに彼女を紹介するところで終わります。因果は巡る。それを彷彿とさせるシーンです。何が因果かは読んでのお楽しみ、ということで。
新しい職場で働く人へ
できる人は、本を読まなくても行動します。そうでない人にとっては、本が役に立ちます。
新卒向け
新人と書いてありますが、はじめて後輩を指導する人に最適な本です。たぶん、ほぼ日あたりが絶賛しているはずです。
転職した人向け
四角大輔『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』
これは売れたようですね。20代と書いてありますが、30代向きです。20代はむしろ蓄えた方がいいと思います。本を読み、仕事で鍛えられ、バックパッカーとして歩く。貯金をはたいてでも、体験が大切。捨てるのは、それからです。いったんため込んでみないと、何が不要かわかりません。
お二人とも、サラリーマンとして力を養い、その後独立しました。自分が若い時に、こういう方と出会っていたら、ロールモデルとしたでしょう。