60年代は洋楽が熱かった
戦後の日本は、アメリカ文化に染まったようなイメージがあります。笠置シズ子「東京ブギウギ」、江利チエミ「テネシー・ワルツ」、小坂一也「ハートブレイク・ホテル」など。やすらぎの郷にお住いのミッキー・カーチスは、ロカビリーのスターでした。
60年代になると欧州からも直輸入の洋楽が入ってきます。
ドメニコ・モドゥーニョの「ヴォラーレ」で勢いをつけて、ミーナが登場しました。
Mina「Tintarella Di Luna」
ナポリとは関係ありません。
東京オリンピックのころはカンツォーネ・ブームで、伊東ゆかりがサンレモ音楽祭に参加したのは1965年でした。
ボビー・ソロ「ほほにかかる涙」
甘い声のマカロニ・プレスリー。
ジリオラ・チンクェッティ「夢みる想い」
まだ16歳。
シルヴィ・ヴァルタン「アイドルを探せ」
フランスだって負けてはいない、レナウンのCMにも出ていましたね。
ミルバ「カンツォーネ」
アイドルばかりではなく、本格派も。
Gigliola Cinquetti「La pioggia」
60年代最後の輝き。
おまけ
あちらの音楽に日本語の歌詞をつけて歌う和製ポップスもはやりました。岩谷時子がその代表です。中でも最強の訳詞は、
7分過ぎをご覧ください。菅野美穂の愛唱歌です。
なんとなく口ずさんでしまう歌
YouTube名曲選 日本の歌手
いつまでもアップしておいてほしい名曲を紹介します。
紅白歌合戦から2曲
ボディが楽器
アイドル第1世代
「異邦人」:オリジナルとカバー
知り合いにそっくりwww.youtube.com
由紀さおり「挽歌」:若いときと聴きくらべる
生別ですか 死別ですか
吾妹が植えし梅の木見る毎に 心むせつつ涙し流る
先に逝ったものをしのぶ歌ですね。その逆もあります。残された人が気がかりで……という歌が。でも、私のお墓の前で泣かないでください、とはあまりに直截な。
由紀さおりを聴いてると、強さと奥ゆかしさを感じます。別れの曲というスタイルをとりながら、さっさと後妻でも見つけなさいよ、とも解釈できる歌です。
熊本地震「益城町テント村」を実現した野口健
ネパール大地震で奮闘する野口健
2015年4月エベレスト登山中の野口は、大きな地震に見舞われました。そして現地のようすをテレビでレポート。4日後には「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ、3週間で6000万円が集まりました。
その資金をもとに、インドのメーカーに大型テントを発注し、ヒマラヤの奥地へ届けました。テントなら、余震があっても、つぶれません。生き残った家族が安心して眠れる場所となります。
熊本地震「益城町テント村」
それから1年後、今度は熊本で大きな地震がありました。ヒマラヤでの経験をいかし、益城町にテント村を設置しました。避難所に入れず、自動車で寝泊まりする人たちが、足を延ばして寝られるように。
益城町テント村の報告と 今後の避難所の在り方に関しての提言|ブログ|野口健公式ウェブサイト
テント村を作るためのハードウェア
テント村をつくるためのテント
トイレは、男女比1:3で設置する
雑魚寝から抜け出すためには、ベッドが必要
避難生活で役立つグッズ
- ヘッドランプ 両手が使える
- アーミーナイフ
- ソーラーランタン
- 速乾下着
- ダウンジャケット 最強の防寒対策
- 寝袋 できればインナーシートも
- アイマスク、耳栓、マスク、目薬