60年代は洋楽が熱かった
戦後の日本は、アメリカ文化に染まったようなイメージがあります。笠置シズ子「東京ブギウギ」、江利チエミ「テネシー・ワルツ」、小坂一也「ハートブレイク・ホテル」など。やすらぎの郷にお住いのミッキー・カーチスは、ロカビリーのスターでした。
60年代になると欧州からも直輸入の洋楽が入ってきます。
ドメニコ・モドゥーニョの「ヴォラーレ」で勢いをつけて、ミーナが登場しました。
Mina「Tintarella Di Luna」
ナポリとは関係ありません。
東京オリンピックのころはカンツォーネ・ブームで、伊東ゆかりがサンレモ音楽祭に参加したのは1965年でした。
ボビー・ソロ「ほほにかかる涙」
甘い声のマカロニ・プレスリー。
ジリオラ・チンクェッティ「夢みる想い」
まだ16歳。
シルヴィ・ヴァルタン「アイドルを探せ」
フランスだって負けてはいない、レナウンのCMにも出ていましたね。
ミルバ「カンツォーネ」
アイドルばかりではなく、本格派も。
Gigliola Cinquetti「La pioggia」
60年代最後の輝き。
おまけ
あちらの音楽に日本語の歌詞をつけて歌う和製ポップスもはやりました。岩谷時子がその代表です。中でも最強の訳詞は、
7分過ぎをご覧ください。菅野美穂の愛唱歌です。