あれから30年 その後のミニマリスト

節約しすぎないシンプルライフ

森絵都『みかづき』

みかづき』は、学習塾を創設した一家の物語。しかも、3世代にわたる大河小説です。

八千代塾から千葉進塾へ

主役がどんどん交代していくので、読んでいる人はどこかで自分と同世代に出会います。

たとえば、小学校に通う蘭は、『巨人の星』や『アタックNo.1』の主題歌を歌い、路上にはマツダの白いファミリアが。「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)も真っ赤なファミリアでしたね。

塾って何?の時代から、世間から白い目で見られる時代を経て、通塾が当たり前の時代へと、時が流れていきます。その間、塾と背中合わせにあるのが学習指導要領です。

学習指導要領とは

学習指導要領は、およそ10年に1回改訂されます。だから、小学校入学から高校卒業までの間に、ほとんどの人が改訂を体験するのです。教科書の刷新、入試制度の改革という目にみえる形で。

1971年(昭和46年)版は、ちまたで現代化カリキュラムと呼ばれました。ことの発端は1957年の人工衛星スプートニク1号です。これをきっかけにアメリカ人は「スプートニク・ショック」に陥り、科学技術を発展させようとやっきになりました。その熱病が日本にも遅れてやってきて実を結んだのが、現代化カリキュラムです。

小学生に集合を教えるという無謀なことをはじめました。典型的な詰め込みカリキュラムです。それゆえ、高校の生物の教科書は見違えるようにモダンになりました。

それで高校受験が悲惨になったかというと、そうではありません。たとえば東京都では学校群制度が1967年からはじまっていて、それ以前の受験戦争はすでに緩和されていました。

そうやって考えると、1960年前後生まれの世代が、モダニズムの落とし子かもしれません。ここで落ちこぼれなかった人は、幸いです。

共通一次試験

その70年代に登場したのが永井文部大臣です。東大への一極集中をやめて、分散しようとしました。富士山信仰をやめて、八ヶ岳へと。その結果生まれたのが、共通一次試験です。1960年ジャスト生まれが一期生となりました。

何らかの意図をもって、学習指導要領は改訂され、そのたびに現場は混乱します。その間隙を縫って躍進したのが学習塾です。小説の中でも津田沼戦争が出てきます。同業他社との争いです。

勝ち組として生き残った千葉進塾は、バブル時代に拡張路線をとりませんでした。「守りに入るとは、鉄の女も年をとったもんだ」と揶揄されつつも。それが幸いして、バブル崩壊後も深手を負うことはありませんでした。

そこで千秋の転調が入ります。「考えるカリキュラム」の復活をめざして、私学に参入しようと。しかし、それは夢幻の世界でした。まるでお能のように。

クレセント(みかづき

ここで、孫にバトンタッチ。ゆとり世代の1つ年上が登場します。就活戦線から離脱し、フリーターとなった一郎は、やっと自分のできることを見つけます。経済的な事情で塾に通えない子たちへの学習支援です。やがて支援者も現れ、フリースクールも軌道に乗りました。

ラストがいいですね。一郎がじいさんに彼女を紹介するところで終わります。因果は巡る。それを彷彿とさせるシーンです。何が因果かは読んでのお楽しみ、ということで。