あれから30年 その後のミニマリスト

節約しすぎないシンプルライフ

進藤奈邦子 WHOシニアアドバイザー

一ヶ月前、コロナの出口戦略の番組で、久々に進藤奈邦子(なほこ)を見ました。

 

ジュネーブからWHOシニアアドバイザーとして遠隔参加。

欧米からは日本の死亡者数が少ないのはミラクルだと思われているのだから、日本人はもっと自信を持っていいんだよ、というメッセージを伝えたかったようです。

 

今ではすっかり評判を落としたWHOですが、そこにたどり着くまでの進藤さんの人生は波瀾万丈です。

 

1963年に生まれ、高校時代にアメリカに留学し、飛び級で大学への進学が決まっていた。ちょうどそのときに、弟さんの病が重くなって帰国。1年落第して、高2に。

建築家になろうかと思っていたのに、弟に託された夢を実現すべく慈恵医大に進学。脳外科としてスタートするも、そこは100%男社会で、セクハラまでも。

 

内科医に転進したら、妊娠がバレて事実上のクビ。2度目のショックで立ち直れず。

うつうつとした日々を送るも、やがて夜勤のない勤務医として復帰。

子育てしつつ、医療と研究を両立させ、母校から博士号を。これが後に効いた。

 

1997年 国立感染症研究所感染症情報センターに呼ばれ、やがて管理職に。

2002年 厚生労働省よりWHOに派遣

2005年 WHOの正規職員に

NHKの取材はこの年の年末から翌年にかけて。

 

派遣されてSARSの診断基準、臨床管理のガイドライン、感染防御のガイドラインなどを作っていたところ、2年の任期を延長してもらえ、3年目に新ポストができ、600倍以上の競争を勝ち抜いてプロパーの職員となった。

 

WHOというところは、大国のわがままがあちこちで顔をだし、パワハラやセクハラはもちろん、足を引っ張られるのは当たりまえの、魑魅魍魎の住む世界のようです。

公用語は英語とフランス語なのですが、派遣された当初助けてくれたのはフランス語のコミュニティでした。

仕事はハードだけど、子育てはしやすい職場です。

 

日本人にとってWHOは不人気職種なので、派遣されるのは比較的容易。しかし、そこでポストを得るのはとても大変なようです。任活(任官運動)では、日本の資金力とアメリカの政治力をバックに進藤さんが勝ち残りました。

 

WHOへの出資金と人口が多い日本の出身であること、女性であること、博士号を持っていることの3つがプラスに働いています。

 

前のポジションであるメディカルオフィサーは、外交官特権もある国連職員です。派遣社員、正社員、役職定年してシニアアドバイザーに、と理解すればいいのでしょうか。

ですから、自分のところのトップの悪口はもちろん、大口スポンサーを表立って批判することもありません。どこの会社でも、そうですよね。

 

「プロフェッショナル 仕事の流儀」

2006年 「鳥インフルエンザを封じ込めろ」

2009年 「新型インフルエンザを食い止める」 

 この番組に2回出たのは進藤さんだけかも。息子と母親のやりとりをうまくとらえています。命がけでも、現地に行きたい、そういう意気込みも感じ取れます。ドキュメントとして秀逸です。

 

私たちにできること。 新型インフルエンザとの戦い (NHKプロフェッショナル仕事の流儀)

弟さんとのやりとりが詳しく書いてあり、テレビでなんで涙ぐんだかよくかります。