女帝は二度死ぬ
奈良時代が、歴史の授業ですっぽり抜けいていた。
小説を読むと、その穴がふさがる。
()内はドラマの配役。
「天平の女帝 孝謙称徳」は、史上唯一の女性皇太子となった阿倍内親王(石原さとみ)のお話。
と思って読んだら、むしろ主役は和気広虫と吉備由利(内山理名)という二人の女官だった。
日本は、唐の制度をコピーした律令国家。でも、違いが2つある。
1つは、宦官がいないこと。おそらく、日本人の美意識に合わなかった。
2つ目は、女官のあり方。中国ではすべてが皇帝の女だったのに対し、日本は男と同じ国家公務員だった。結婚しても、やめるとは限らず。
皇太子の父は、東大寺の大仏を作った聖武天皇(國村隼)。母は、貧しい人に施しをするための「悲田院」、医療を施す「施薬院」を設置した光明皇后(浅野温子)。
父を継いで孝謙天皇として即位するが、臣下である藤原仲麻呂の傀儡となる。譲位後、母を失った悲しみと、思い人である仲麻呂の裏切りにより、体調を崩して死線をさまよう。そこに登場するのが道鏡。このあたりは、耳学問として知っている。
道鏡のおかげで健康を回復した上皇は、少しずつ政治力を取り戻していく。やがて仲麻呂のクーデターを制圧し、称徳天皇として重祚。女帝の親政という稀有の時代がやってくる。
作者は、毒殺説をとっている。死後、道鏡とのスキャンダルが藤原氏により捏造された。後世、女帝なんて政治が混乱するだけ、という見方が定着した。竹簡の改ざんにより、歴史がゆがめられたと。
女帝は、二度死んだ。