あれから30年 その後のミニマリスト

節約しすぎないシンプルライフ

mRNAよ、こんにちは

生物の教科書って、細胞の話からはじまって、こまごまとした知識が並び、ついていくのが大変。メッセンジャーRNAで早々と挫折した。
いまどきの子たちは、生物を選択していない人も多いとか。
団塊の世代は、生物が必修だったけど、大昔すぎてDNAの話が載っていなかった。
でも、コロナ関連を理解しようと思ったら、教科書を紐解くのが近道。
というわけで、看護学生になったつもりで、こちらを参照。

www.kango-roo.com

「細胞はタンパク質の工場」というタイトルがいいですね。
最初の図を見ると、工場内の装置が示されている。
全部覚える必要はない。
(設計図を保管するコントロールタワー)とリボソーム(タンパク質の組み立て場)、ミトコンドリアの3つが重要。

核の中にある遺伝子の情報をコピーしたものがメッセンジャーRNA(mRNA)で、そのコピーがリボソームに送られてタンパク質が作られる。
そういう大筋を覚えておくと、あとあと便利。
細かい仕組みは、とりあえずスルー。

一方、ミトコンドリア(細胞の発電所)では、ATPを合成します。
式で書くと、
食物+酸素→水+二酸化炭素+ATP
このATPを分解するときに出るエネルギーを使って、わたしたちヒトは活動するのです。
酸素を取り入れて、二酸化炭素を吐き出す。
これを「呼吸」と呼びます。
場所は、肺。
有酸素運動のエネルギー源です。
細かい仕組みは、やはりスルー。

前口上はここまでにして、つぎはいよいよ本丸の免疫の話を。

介護付き有料老人ホームとは

コロナのさなか、最後のひとりが亡くなり、要介護者はゼロとなりました。
残されたのは、元気な高齢者ばかり。
介護について勉強したのが、介護保険以前だったため、ケアマネの存在も知らずにあたふたする場面も。
いまや、さまざまな施設が乱立し、専門家でも説明に困るほどの状況に。

自分の知らない金融商品は、買ってはいけない
これが大鉄則です。
介護も同じと考えれば、まずは知ることから始めるしかありません。
そんなとき、雑誌に載っているようなランキングやWebのクチコミは、あてにならず。

いちばんの問題点は、決めるまでに時間がないことです。
入院した親が、治療を終え、病院から退出を迫られ、あわてて行き先を探し回る子。
典型的なパターンです。
これを避けるには、事前に親と話し合い、あちこちに見学に行き、体験入居する。
こういったワークフローをこなすしかありません。
でも、なぜか仕事ができる人でも、おざなりに。

まずは、こんな本から入るのはどうでしょう。

親を老人ホームに入れようと思った時に読む本

介護付き有料老人ホームについて書かれているが、グループホームや特養との違いもわかる。施設の都合や保険制度の限界を知りつつ、どこにするか考える材料となるでしょう。

有料のホームは、たしかに高いけど、サービスは特養より充実しています。職員の質も高い。さらに、選択に困ったときに紹介してくれる所がある。賃貸マンションを仲介する不動産屋みたいなものですね。認知症もあり自宅介護は無理だったので、紹介で入ったホームは安住の地となりました。本人は状況を把握できませんが、家族からみればハッピーな結果が得られました。

なにしろ数が多いので、個別のケースについての情報も出てくる。
たとえば、
田舎への「Uターン介護」は、親のためにならない

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57094

「介護破産」しないための家族会議のポイント

https://news.yahoo.co.jp/articles/d34824772501c422a5cddfdd6576129e5ca14418

とにかく、情報に振り回されずに、自分にとって必要なものを選択する。
そのために、なんでも活用する。
まとめとしては、ものすごくカンタン。
実践も、そうでありますように。

屋敷が広いのも悪くない

いま赤楽天が幅をきかせているけど、平安時代楽天がいちばん人気だった。
源氏物語枕草子などに引用されている。

平安の中ごろには、文人たちは世を捨てた侘び人に憧れるようになる。
出家するだけでなく、寺さえ捨てて諸国を行脚する聖も現れた。
紫式部日記」では、聖にひかれる思いをつづっている。
式部はまだ30代、貴族出身の職業婦人なのに。
そのころ念仏がはやっていたのも関係ありそう。

大隠は都会に住み、小隠は林丘に住む。そんな極端なのはダメ、官の仕事とプライベートを両立させる中隠がベストなんだ、と宣言したのが白楽天

科挙に受かったキャリア官僚なので、長安で宰相(いまの事務次官クラス)になれるはずだったのが、左遷されてしまう。
江州に赴任したときは、一族の子どもたちも呼び寄せ、14人家族になった。下男下女を含めると、20人ほどを一人で養った。
いったんは復帰するも、洛陽にて閑職に。

晩年に住んだ「履道坊の家」の想像図を見ると、敷地が広々している。母屋のほかに、草庵、竹林、中島が3つもある大きな池、楼閣も。屋敷内に妓女を住まわせ、琴や舞を楽しんだ。

朝は身ぎれいにして座禅、日が高くなったら質素な食事、正午は窓辺で昼寝、夕方は散歩、ときには詩を吟じ、夜は琴の演奏を聴きながら一杯。

こんな調子だから、75歳まで生きた。当時としては、かなりの長命。

詩、酒、琴、釣りが大好きだった。生涯で作った詩が約3000首、琴は毎朝同じ曲を弾き、酒は自家製。麴まで自分で選んだ。
屋敷は広くても、家族が多かったので、衣を質入れしないと薬代を払えなかった。

鴨長明良寛が住んだ小さな家もいいが、一度は白楽天のような広いお屋敷に住んでみたい。

清閑の暮らし: 隠者たちはどんな庵に住んでいたのか

ジャパニ〜ネパール 出稼ぎ村の子どもたち〜

(私の家政夫)ナギサさんは、お母さんになりたかったと言う。

ネパールの山奥に、出稼ぎの村がある。ネパールでは日給600円なのに、日本なら時給で1000円もらえる。
田舎のわりにはみな裕福なので、その子弟をねらって私立の小学校が開かれた。
世話をしてくれる人がいない子は、寮に入る。寮費は、平均月収の半月分ほどだ。
寮のおじさんは、子どもたちのために食事を作り、洗濯もする。母親になったつもりで世話をするんだけど、母親の代わりにはならないと。

9歳の少女ビピシャの父母は、彼女を日本に呼び寄せようとやっきになる。しかし、本人はきっぱりと拒否。その攻防をみていて、つらくなった。あまりにも大人がアホすぎて。

下校の途中で、母親が日本に行く予定の男の子と語り合う。
少女は、日本に行かなくたって、口紅ぬって、ズボンはいて、タクシーの運転手になればいいさ。ネパールでも、自分にできることがきっとある。お金がすべてじゃないよ。
男の子は、お金があればだいじな人を守ってあげられる。まずは、お金さ。
みたいな、やりとり。とても9歳とは思えぬ賢さ。

空よ答えておくれ、お金と人生とどっちがだいじなんだい?
少女は、そう歌いながら山道を登っていく。
金色夜叉だなあ。

カメラにしつこく追い回されたビピシャに、ドキュメンタリー大賞を献上したい!

進藤奈邦子 WHOシニアアドバイザー

一ヶ月前、コロナの出口戦略の番組で、久々に進藤奈邦子(なほこ)を見ました。

 

ジュネーブからWHOシニアアドバイザーとして遠隔参加。

欧米からは日本の死亡者数が少ないのはミラクルだと思われているのだから、日本人はもっと自信を持っていいんだよ、というメッセージを伝えたかったようです。

 

今ではすっかり評判を落としたWHOですが、そこにたどり着くまでの進藤さんの人生は波瀾万丈です。

 

1963年に生まれ、高校時代にアメリカに留学し、飛び級で大学への進学が決まっていた。ちょうどそのときに、弟さんの病が重くなって帰国。1年落第して、高2に。

建築家になろうかと思っていたのに、弟に託された夢を実現すべく慈恵医大に進学。脳外科としてスタートするも、そこは100%男社会で、セクハラまでも。

 

内科医に転進したら、妊娠がバレて事実上のクビ。2度目のショックで立ち直れず。

うつうつとした日々を送るも、やがて夜勤のない勤務医として復帰。

子育てしつつ、医療と研究を両立させ、母校から博士号を。これが後に効いた。

 

1997年 国立感染症研究所感染症情報センターに呼ばれ、やがて管理職に。

2002年 厚生労働省よりWHOに派遣

2005年 WHOの正規職員に

NHKの取材はこの年の年末から翌年にかけて。

 

派遣されてSARSの診断基準、臨床管理のガイドライン、感染防御のガイドラインなどを作っていたところ、2年の任期を延長してもらえ、3年目に新ポストができ、600倍以上の競争を勝ち抜いてプロパーの職員となった。

 

WHOというところは、大国のわがままがあちこちで顔をだし、パワハラやセクハラはもちろん、足を引っ張られるのは当たりまえの、魑魅魍魎の住む世界のようです。

公用語は英語とフランス語なのですが、派遣された当初助けてくれたのはフランス語のコミュニティでした。

仕事はハードだけど、子育てはしやすい職場です。

 

日本人にとってWHOは不人気職種なので、派遣されるのは比較的容易。しかし、そこでポストを得るのはとても大変なようです。任活(任官運動)では、日本の資金力とアメリカの政治力をバックに進藤さんが勝ち残りました。

 

WHOへの出資金と人口が多い日本の出身であること、女性であること、博士号を持っていることの3つがプラスに働いています。

 

前のポジションであるメディカルオフィサーは、外交官特権もある国連職員です。派遣社員、正社員、役職定年してシニアアドバイザーに、と理解すればいいのでしょうか。

ですから、自分のところのトップの悪口はもちろん、大口スポンサーを表立って批判することもありません。どこの会社でも、そうですよね。

 

「プロフェッショナル 仕事の流儀」

2006年 「鳥インフルエンザを封じ込めろ」

2009年 「新型インフルエンザを食い止める」 

 この番組に2回出たのは進藤さんだけかも。息子と母親のやりとりをうまくとらえています。命がけでも、現地に行きたい、そういう意気込みも感じ取れます。ドキュメントとして秀逸です。

 

私たちにできること。 新型インフルエンザとの戦い (NHKプロフェッショナル仕事の流儀)

弟さんとのやりとりが詳しく書いてあり、テレビでなんで涙ぐんだかよくかります。